マーガレット・ワイズ・ブラウンとバーバラ・クーニーは大人になってから出会いました。
好きな絵本はたくさんあるけれど、今回は「まんげつのよるまでまちなさい」を。
この絵本は時の流れを本当にうまく表現していると思います。そして、その時の流れにわたしたちが実は護られて在る、ということも。
木の根方に暮らすあらいぐまのおかあさんとぼうや。
ぼうやはよるをみに外に出てみたい、とおかあさんに言うのですが、おかあさんの答えはいつも「まだよ、まんげつのよるまでまちなさい」。
ぼうやは待ち続けます。よるをみに外に出られる満月の日を。
そして、繰り返される毎日の中、月が満ちていくようにぼうやも少しづつ少しづつ成長して、ついに満月の日に
おかあさんに送り出されて家の外に遊びに飛び出してゆくのです。すっかり成長していっちょまえの少年あらいぐまになって。
毎日毎日の繰り返す日々がいつの間にか、ぼうやを少年に育ててくれている。
繰り返される毎日の安心。護られた日常。
その世界から、外に向かって飛び出していけるは、護られ安心できる「帰る場所」があるからなのかもしれません。
携帯電話やパソコンが普及して、「待つ」ということがとてもないがしろにされるようになったような気がします。
以前は「待ち合わせ」とか「待つ」ということが日常の中にあたりまえに組み込まれていて。
いろんな場面で私たちは待つことができていました。
でも、最近私たちは待つことがどんどん下手になっているような気がするのです。
それは多分、待つことにまつわる、ゆたかさの喪失、でもあると思ったりするのです。
子育てをしていると「待つ」ことがたくさん。早く首がすわってほしい、と思っても。用事があるから早くお昼寝してほしい、と思っても。こどもは自然そのものなので時が来るのを待つしかない。
でも、その「待つ」時間は、寄り添いともに育つためのゆたかな時間でもある。
月だって新月のあとに急に満月になったりしない。徐々に徐々に満ちてゆく。春の次にすぐ冬が来ないように、季節の巡りも、時間は必要なだけかかるもの。
自然はいつも、時満ちるまで待ち、動いてゆく。
いま、ちょっと煮詰まっていたり、物事が動かないように感じている人も、きっと大丈夫。
時間はかかるだけかかるもの。
でも、種まきして、行動していれば、きっと。時満ちて物事が動くときにはぱぁっと扉が開いていくと思います。
それが多分、あなたにとっての「満月の夜」。だから、「まんげつのよるまでまちなさい」。
けいさん、こんにちは!
遅ればせながら6月ヨガのご案内、ありがとうございました。
13日は、都合がつかず参加が叶わなかったのですが、30日のベビヨガには伺いたいと思います。
西武情報と絵本の紹介も読みました〜!
いいですねえ。
西武にあんなすてきな場所があるなんて。今度、行ってみようと思います。
今日は貴重な梅雨の晴れ間でしたね。
そろそろ、お布団取り込みます。
では、また。