【追悼】詩人 長田 弘さんに感謝をこめて

大好きな詩人、長田弘さんが亡くなった。生活や日常に限りない愛情と温かなまなざしを持ち続けられた方だと思う。

初めて長田さんの詩に出会ったのは「ふろふきの食べかた」というタイトルの詩。

「自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。

それから、確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて、
面とりして、そして一日の
見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。

そうして、深い鍋に放りこむ。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらい差して、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。

こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって」

(「食卓一期一会」より)。

 

なんだか、あたたかゆげに包まれたような。ほっこりやさしい気持ちになったことをずいぶん経ったいまでも覚えている。

なんというか、生きていくうえで大切な小さな日常のリアリティを、平易な言葉でやさしくあたたかく届けてくれる方だった。そして、誰よりもことばのちからを知り、ことばの持つ力を信じさせてくれる人だった。

 

そして晩年に出版された「詩、ふたつ」は、「花をもって会いにゆく」と「人生は森の中の一日」という2編をクリムトの樹木と花々とともにおさめた詩画集。

人生のなかでときに訪れる悲しみに、静かにそっと寄り添う、とてもやさしくあたたかい詩画集で、私の父が逝ったとき、母に贈った詩画集でもある。

愛する人たちを見送った人々に寄り添う素敵な言葉はいま、詩人の詩を悼む私たち自身の想いに重なる。

 

 

いつの日か、大きな木の下に花をもって会いに行こう。

感性をゆたかにひらき、いつも傍らにあるような言葉を贈り続けてくれた詩人の魂に。

そして、伝えたい。あなたのように、優しくしなやかであたたかで。でも凛として力強い言葉を紡いでいきたい、と。

長田弘さん、たくさんの美しい言葉の花束をありがとうございました。

 

 

「花を持って、会いにゆく」(「詩ふたつ」より)

春の日、あなたに会いにゆく。あなたは、なくなった人である。どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。

略…

死ではなく、その人がじぶんのなかにのこしていった たしかな記憶を、わたしは信じる。

言葉って、何だと思う?けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、語らうことができると知ったのも、死んでからだった。

春の木々の 枝が競い合って、霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。

IMG_3301

 

「人生は森の中の一日」(「詩ふたつ」より)

何もないところに、木を一本、わたしは植えた。それが世界のはじまりだった。

次の日、きみがやってきて、そばに、もう一本の木を植えた。木が二本。木は林になった。

三日目、わたしたちは、さらに、もう一本の木を植えた。木が三本。林は森になった。

森の木がおおきくなると、おおきくなったのは、沈黙だった。

沈黙は、森を充たす 空気のことばだ。

略…

やがて、とある日。黙って森をでてゆくもののように、わたしたちは逝くだろう。

わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が 天を突くほど、大きくなったら、

大きくなった木の下で会おう。わたしは新鮮な苺を持ってゆく。きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって 人生は森の中の一日のようだったと言えたら、わたしはうれしい。

IMG_4281

2015-05-18 | Posted in blogNo Comments » 

関連記事

Comment





Comment