先週、今週とGift of Loveグリーフケアガイド&インストラクター第二期(https://www.giftoflove.global/) という、愛がそのままカタチを結んだような講座で、グリーフケアを学んでいました。
学んでいた、というよりは全身で感じていた、という方が近いのかも。
集う方、集う方、みなさんがあたたかくて、優しくて。
オンラインでお会いしているのに、なんだか一緒にいて、一緒に旅をしたみたいな、そんな愛おしい時間でした。
きっかけはよく覚えていないのだけれど、墓地のすぐ側で育ったからか、ひい祖父母や祖父母、父、飼い猫などの旅立ちに立ち合わせてもらったからなのか。 生きるとか死ぬとか、いのちとかのこととかを考えながら、ひとの生活の傍らに佇むはたらきをしていきたいといつからかずっと思ってきて。 グリーフやケア論みたいな本もたくさん読んできた。
でも、じゃあ実際に私にできることってなんだろう、、、と、ずっと模索している時にドゥーラというはたらきを知って。
あ、これだ、と思った。
妊娠出産は、多くはおめでたいものだけれど、それまでの人生から大きな転換をしなければいけない時で、ある意味ではおおきな喪失も抱えこむ。
産後って実は、喜びとともにグリーフを抱えている、そんなとてもアンバランスな危うい時期なんじゃないか、と思う。
私たちの、目に見える形でのはたらきは赤ちゃんのお世話や食事作り、なのだけれど。 「こんにちは」と、ご自宅に伺うと、ほっとした顔で迎え入れてくださるママさんたちを見ていると、私たちドゥーラにできる1番のはたらきは、存在を贈ること、なのかもしれない、と思ったりもする。
でも本当は、どんな関係でも、ひとと人は出会った瞬間から存在を贈りあっているんだと思う。
ふだんは気づかずにいるけれど、生まれるとか旅立つとか、「いのち」がいつもより鮮明に浮かびあがる場面で、そういうことをより必要として、気づくのかもしれない。 自分の前に、ただ自分に向き合って、あるいはただただ受け止めてくれるひとがいる安心感。 それは、その、眼前にいるひとが、自分の存在を贈ってくれている時に成り立つものだと思う。
一緒に笑って一緒に泣いて。 胸がいっぱいになった2日間に、そんなあれやこれやの想いが浮かんだ。
そんなんで食べていけるの?とか奨学ローン(9年前に無事返済)どうするの?とか、そういう現実を前にしまい込んでいた、昔胸に抱いた夢もまた、思い出したりして😊 私の夢は、ミヒャエル・エンデの「モモ」のように生きること。
ちゅらさんのおばあみたいに、凛としてるけどキュートでかわいいおばあになること。
初女さんの森のイスキアみたいな場を開くこと。だった。
私にとっては、聴き合うこと、食べることを分かち合うことが、共に生きることで、愛のカタチで、生きること、なのかもしれない。 そういうことをぜんぶひっくるめて。
生まれてくるいのちとご家族の傍らで。 病いを得たひとやそのご家族の傍らで。
旅立つひとや、旅立ちを見送ったひとの傍らで。
なにかを失ったり、傷ついたりしたひとの傍らで。 一緒にいられる私であれたらいいな。
と、2日間の旅を終えたいま、そんな原点回帰みたいな想いが溢れていくのを感じる夜。
集ったひとたちのいろいろな物語が、聴くということで、「わたし」の物語りの一部になって、また新しい物語りが編まれてゆく。
本当にゆたかな時間でした。 出会ってくださったみなさま、本当にありがとうございました❤️
ここからまた、長い旅路をよろしくお願いします😊❤️
3期も募集が始まっているみたいなので、なにか響くものがある方はぜひ。
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