過去からの贈り物

過去からの贈り物

Facebookのお知らせ機能で出てきた過去の自分の投稿。

このころはまだ、息子は生まれていなくて、夫は札幌に単身赴任中で。北の大地と東京を行ったり来たりしながらいろんなことを感じたり、考えたりしていまとはまたちょっと違う静かで穏やかでゆたかな時間を過ごしていたんだなぁ、とふと。
でも、私のまんなかにある思いや言葉はこの時と同じ。
なんていうか、妊娠・出産を経てこの時より自分は自然に近づいている気がするな。毎日ばったばたではあるけど、ネ。
なんだか、過去の自分からの贈り物みたいな言葉たちでした。FB、ありがとー

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「木も、岩も、風も
あらゆるものがたましいをもって、私たちを見つめている」(星野 道夫)

もう何度も何度も、擦り切れるほどに繰り返し読んでいるのだけれど、ふと読みたくなる、大好きな星野道夫さんの本。
やっぱりいいなぁ。

 山並みを眺める時間から、高層マンションを眺める街に戻ってくると、なんとなく身体も心も、のびやかさを失って、なんとなく息苦しいような気分になる。

よしもとばななさんが、ある本の中で「人には山並みが必要で、でもそれが都会にはないから山並みを模して高層ビルを建ててるんだ」というようなことを書いていたけど、なんとなくわかる。

窓の向こうに、どどーんと美しい山並みがあるときのあの安心感。

人にとって、山とか海とかなんていうか、到底かなわないおおきなもののなかに身をゆだねるような感覚ってとても大事なんだと思う。
自然の中にいると、急な雷雨や大波や、自分の力ではどうにもできないことばかりなことに気がつくから。

なんというか、いまの社会の過ちは、土や自然のリズムから自分たちを切り離してしまったことにあるんじゃないかなぁ。

自分という自然。
その自分という自然を生かしてくれている大きな自然。

むかしラオスのある村で「人生で一番楽しかったのは、畑で働いているとき」と笑顔で話してくれたおじいちゃんがいた。

土から離れるほどに、人は不自由でなんだか矛盾した生き物になっていく気がする。

学生時代に訪れた土とともに生きる東南アジアやアフリカの人たちの暮らしはいつもシンプルで、もちろん不便もあるのだけど、不便であるほど自分自身はどんどん自由になるような、そんな気がしてた。
なんというか、五感を開いて地に足つけて過ごす毎日は、いきものとしての自分のいのちがひらいて、自由で元気だった。木の言葉も岩の言葉も、風の言葉も感じられるような。
なんだか、そんなことに想いを馳せる、そんな夜。



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