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「いただきます」のこころ

友人に誘われて、ずっと見たかったドキュメンタリー映画「いただきます」を観てきました。


映画って、乳幼児がいるとまず誰かに預けないというけないというハードルがあってなかなか足が遠のいてしまうのですが、今回みたいに子連れOKだと本当にありがたい♡
ま、ねんねの神様が降臨しないことにはゆっくりはみられないのですけど^^;

それはさておき、この「いただきます」の舞台は福岡県にある高取保育園。
映画「はなちゃんの味噌汁」のはなちゃんが通っていたのはこの保育園なのでした。
「いただきます」のHPの冒頭の言葉が素敵なので少し引用させて頂きますね。

「福岡市高取保育園。
そこには懐かしい日本の子育てがありました。
それは、先人たちから引き継いだ”魂の育てかた”。
日本の伝統的な「食養生 医食同源」に基づいた給食の献立は、
玄米、みそ汁、納豆、旬の野菜料理です。
みそは、園児たち自らが、毎月、毎月、100キロ仕込みます。
梅ぼし、沢庵、高菜漬けなども手づくりです。
アトピーやアレルギーだった園児の多くが、元気に巣立っていきました。
30年続く高取の「和食給食スタイル」は、教育視察を通して日本中に広まりました。
発酵学の第一人者である小泉武夫 東京農業大学名誉教授が、
伝統和食に込められた先人たちの英知を、わかりやすく説き明かしていきます。
「家庭の和食」「手づくりみそ」が、本作の主役なのです。」

本当に日本の先人たちの知恵や暮らしってすごいなぁ、素晴らしいなぁと思います。

味噌に醤油に、梅干しに。発酵のことが今のようには科学的に解き明かされていない時から菌と上手に付き合って育ててきた発酵食の知恵。野菜中心の暮らし。
いのちや季節に寄り添って暮らしてきたからこそ、見えていたもの、感じていたものがあるんだろうなぁと思います。
これ↓は、高取保育園のある月の献立表です。

シンプルなんだけど、いい材料で仕込まれて、愛情こめてつくられる毎日の滋味あふれるご飯がどれだけ子どもたちのこころとからだを強靭に作ってくれるのか、、、としみじみ思います。もちろん、基本は家庭だけれど、こんな愛あるお昼ごはんを毎日いただいて、暮らしの基本をこころと身体に繰り返し教え込まれたら、ほんとどこに行ってもご機嫌で生きていける子になるだろうな。

年長さんが卒業を前に、年中さんに味噌の仕込み方を伝える味噌伝授式とか。
みんなで沢庵を仕込む様子とか。
なんだかどの時間も観ていて愛おしくて、ほんとは子どもたちってこんな風にたくさんのいのちと仲良くなれる愛情をその小さな身体にいっぱいに持ってるんだよね、とあったかい涙がじんわり出てくる映画でした。
  
食べることは、いのちをいただくことで、自分のいのちに変えていくこと。
だから、食べるということを大事にしてもらったら、自分やいのちを大事にする根っこが育っていくんだと思うのです。
だから、どんなにいそがしくてもやっぱり「いただきます」と手を合わせる気持ちは大事にしたいよね。
「いただきます」のこころは、いのちへの愛情と感謝の気持ち。
その気持ちをもって大人になっていける子どもは、やっぱり幸福なのだと思うのです。

もちろん、そんな毎日を園児たちに提供しながら寄り添うスタッフの皆さんの苦労は大きくて。働く現場としてはかなり大変な様子も。保育の現場を支える人たちを支える仕組みや在り方も、併せてもっともっといろんな場で取り上げられていくといいな、と思いました。

そんなこんなも、一人でも多くの方に観ていただきたいから。リンカランでもまた、この春にでも上映会を開催したいと思っています。
また詳細決まったら、こちらでも告知しますので、お楽しみに♡

 

2017-02-02 | Posted in blogNo Comments » 

 

映画「0円キッチン」に思うことつれづれ

逗子のCINEMA AMIGO さんで開催されたCINEMA CANNING「 瓶詰め:「有機野菜の贅沢ベジタブルパテ “パリジェンヌ”」づくり&0円キッチン上映会」に先日参加してきました。

現在のわたしたちの世界で生産される3分の1の食料は廃棄されており、その量は毎年13億トンにもなるのだそう。

映画「0円キッチン」は、「捨てられてしまう食材を救い出し、おいしい料理に変身させよう!」と考えた食材救出人のダーヴィドが廃油で走るキッチンカーでヨーロッパ5カ国の旅へ出発するというロードムービーです。


会場には、1週間オフィスに飾られて廃棄となったお花がリサイクルして飾られていました。
食べ物以外にも、いまのわたしたちの社会は本当にたくさんの「もったいない」を生み出しているんですね。
なんだか、残念。。。でもこんな風にきれいに飾ってくれる人に出会えたお花は幸せ、ですね♪
出会えてよかった♡

まずは、第一部の瓶詰づくりでは、規格外だったりいろいろな理由ではじかれて廃棄に予定になっていた「もったいない野菜」たちで野菜のパテを作りました。

   

どのお野菜も新鮮でピカピカなのに、知らないところで廃棄されていたなんて、、、と、なんだかやりきれない思い。生産・流通・販売の過程で作った野菜の4割は廃棄されているといいます。

例えば、20㎝のほうれん草が流通の規格とされていたとして、農家さんが20㎝のほうれん草を作る。でも、中には30㎝、40㎝に成長するほうれん草もある。ところが、そのほうれん草も出荷してしまうと積載効率が悪くなるということで流通に乗せることができずにはじかれてしまい市場に出回ることができない、というのです。
味や品質は問題なくて、せっかく育ってくれたいのちをそんな風に捨てているなんて。なんだか本当にとても悲しい。

昨年から友人たちと畑作業をしているのですが、畑にいればそれぞれの作物の育ちは一様ではなくて多様なのは当たり前。人参だってまっすぐなものばかりじゃないし、子どもたちが種まきを手伝ってくれた苗はぎゅうぎゅうに育って形もサイズもバラバラ。

でも味はとても濃くて、土の匂いがして。とてもとても、捨てられません。

形や、輸送コストのために捨ててしまう流通過程は、わたしたち生活者一人一人が土から離れて、生産者さんからも離れてしまったことに原因の根っこがあるのかも、、、、なんて思ったりもします。

今回はこのイベントのためにそんな「もったいない野菜」6種類を20kgずつ、120kgを購入したのだとか。私たち参加者は4㎏分の野菜もお土産に頂いて帰ってきました。


さて、瓶詰づくりがひと段落したら、「もったいない野菜」のプレートランチをいただいて映画鑑賞。
どのお野菜も味が濃くて、その野菜の味といのちを優しく引き出されたプレートはなんだか元気の出るものばかり。
そして、おいしいごはんを食べた後、暗くなった室内で母の願いどおり3歳の息子は熟睡お昼寝で、母の映画鑑賞準備も万端♪

小さい人がいる生活だと、映画ってなかなかハードルが高いので、子連れで鑑賞できるこういう機会はホントありがたいです☆

「0円キッチン」は、世界で生産される食料の3分の1が廃棄されている現実を受け、キッチン付き廃油カーで廃棄食材料理を届けながらヨーロッパをめぐる旅を追ったドキュメンタリー。

食べられることなく廃棄される食料は世界で年間約13億トン、ヨーロッパだけでも8900万トンにものぼります。ジャーナリストで「食料救出人」のダービドは、植物油の廃油で走行できるように改造した車に、ゴミ箱で作ったキッチンカーを取り付け、ヨーロッパ5カ国をめぐる旅をスタートさせるのです。各地で廃棄予定の食物を使った料理をふるまうダービドと人々とのコミュニケーションから、現在抱えている食の問題、そして未来を考えていくというストーリー。

なんというか、自分が毎日命をつなぐ食べに食べている食べのものの背景にこんな現実があるということを、あらためて知ってショックでやりきれない思いはあるのだけれど。

それ以上に、そういう現実に対してユーモアとアイディアで行動を起こして、社会を変えていく人たちの勇気と行動力と笑顔とパワーに、希望と勇気を与えられた時間でもありました。

どんなときにも、どんな場所にも希望のタネはある。

そのタネを自分の中にも根付かせて、大事に育てて行動に移していくこと。

世界は広くて、自分ひとりの力は小さくて。どうしようもない、と嘆くのは簡単だけれど、でも待って。

自分の住む小さな場所で、小さなことを始めていくことはできるかもしれない。で、始めたら、はじめは小さくても1人、2人と仲間が集まって少しづつ大きなことにつなげていけるかもしれないから。

わたしも、今回のイベントでいただいたタネを自分の場所でできることを始めるきっけにしたいな、と思います。

「もったいない野菜」を使って、みんなでワイワイご飯を作って一緒に食べて、お持ち帰りもできるドゥーラごはんの会でも始めてみようかなぁ。
ドリカムの歌じゃないけど「おいしい」から「うれしい、楽しい、大好き♪」がたくさん広がっていけばうれしい。

 で、やっぱりね、私たち一人一人がもっと土に還るというか畑とか田んぼとか自分のいのちを支えてくれているもののある場所にどんどん出かけてみていって、体験してくることも大事なんじゃないかなぁと思います。

 わたしたち生活者の消費行動や意識が変われば、「もったいない野菜」たちが生まれてしまうような仕組みだってきっと変えられる。その仕組みを作ってしまったのもわたしたちなんだから。

 見ているとお腹が空いて。そしてなんだか勇気と元気が湧いてくるこの映画。

 ぜひ見てみてくださいネ♡

 

 

2017-01-28 | Posted in blogNo Comments » 

 

志村ふくみさんの展示のよせて

念願の志村ふくみ展。
素晴らしくて、涙がでそうだった。

植物から紡がれたやわらかな色あいが、優しく織り合わされ、なんともいえないやわらかな、でも凛とした着物に織り上げられている。

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やわらかな色。光を透かせ、照らしだすような色。悲しみも喜びも内包しているような色。
その色を贈りだした植物のエネルギー。

どれも美しく、素晴らしかったけれど、志村ふくみさんのはじめとの作品「秋霞」には、なんだか心撃たれてしまった。
ああ、人にとどく仕事ってこういうものかもしれない、と、ふと思う。
役に立つとか、立たないとかそういうことではなくて。そこに働き手のすべてがあらわれてしまうような、はたらきがかたちになったもの。

そのすべてが美しくて尊い感じがした。

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「光が視界に入り、さまざまな状況に出逢う時に示す、多様な表情を色彩として把えたゲーテは、「色彩は光の行為であり、受苦である」といったが、私はこの言葉に出合った時、永年の謎が一瞬にして解けた思いがした。光は屈性し、別離し、さまざまな色彩としてこの世に宿る。植物からの色が抽出され、媒染されるのも、人間がさまざまの事象に出会い、苦しみを受け、自身の色に染め揚げられてゆくのも、根源は一つであり、光の旅ではないだろうか。
生命の源、太陽から発した光が地上を美しい色彩で覆う日もあれば、思いがけない障害をうけて、影となり、曇りとなり、闇に達することもあり、地中にあって鉱石を染め、草の根に光を宿すこともあるのだと。」
(志村ふくみ「語りかける花」)

色彩の不思議。
色彩のチカラ。

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私自身の色は何色なんだろう。
しばらくは、ふくみさんの本たちに再会して、色彩をめぐる旅に夜な夜なでよう。

、、、やっぱり子育てがひと段落したら、アルスシムラで草木の染織りを学んで没頭してみたいなぁ。

それにしても、昔の日本人はこんな美しい衣を纏っていたのに。どうして簡単に手放してしまったんだろう。
着物文化、草木染めの文化って、やっぱり日本の背骨を支える大切な文化だと思うな。

2016-11-03 | Posted in blog, 未分類No Comments » 

 

星野道夫さんのこと

時の過ぎるのがあまりにも早くてびっくりしてしまうけれど。
アラスカでいのちを撮りつづけた、敬愛する写真家の星野道夫さん。
8/24~9/5まで松屋銀座で開催されている没後20年写真展「星野道夫の旅」へ、台風の影響のある雨の日に行ってきました。

もう、20年になるんですね、、、
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3歳の息子にも、道夫さんの世界を感じてほしくて一緒に連れて行ったのであまりゆっくりはできなかったけれど。

今回も、アラスカに生きるたくさんのいのちの息吹と、大地の躍動と空のひろがりが感じられて。
まるで、そこに星野道夫さんも一緒にいるようないのちの輪の中で、なんだかとても励まされて帰ってきました。
やっぱりいのちは、いのちに励まされ勇気づけられて、生かされてあるんだなぁ。

星野道夫さんという人に出会ったのは中学の3年生の時。
それから、全部の本をもう思い出せないぐらい繰り返し読んで。体中に星野道夫さんの文章とか感性が染み込んで自分の大切な芯を作ってもらったような、そんな気がします。

彼の透徹した文章は、折々にこころの深いところに響いて。
励まされたり、勇気づけられたり、ほっとしたり。
その時々でいろいろなパワーをもらってきて、彼に出会っていない人生なんて考えられないくらいです。
、、、実際ご本人にお会いしたことはないのに(笑)。すごいなぁ。その在り方、存在感。

星野さん自身もきっと、あまりも大きないのちの流れの中に身を置く中で、自然からそういうメッセージを受けとってこられたんだと思います。
たった一人でアラスカのあの雄大な大地で寝泊まりをし、孤独と向き合う時間。
それはきっと、自分と向き合う時間であり、大地と向き合う時間であり、そしてそこに生き、死んでゆくいのちの循環と向き合う時間。
そんな深い深い時間から紡ぎだされた言葉と物語。

まるで、大地やいのちの語り部のように、わたしたちとたくさんのいのちを繋いでくれた人。道夫さん

どの写真からも伝わってくるのは、孤独とか希望とか、いろんなものを超えた深い愛、そんな気がします。
彼は、アラスカという土地も、たくさんの動物たちも、出会った人たちも深く愛しきることのできる人だったのだと思います。
そして、誰よりも深く、愛された人だったのだ、とも。

そのまなざし、笑顔。紡がれる言葉。
うまく言えないけれど、全部が愛そのもの。そう思います。
だからこそ、こんなにも長く愛され、伝えられ続けていんじゃないかな。

クリンギット族の語り部、ボブ・サムがある旅の際に語ったというクリンギット族の創世神話。

「木を敬い、彼らと同じように生きなさい
ワタリガラスが与えた魂を私たちはわかち合い、生きている
だから、木も
私たちと同じように生きている
木の周りをよく見るがいい
空を飛ぶ若者がその翼を休めている
木の周りをよく見るがいい
大地を歩く者たちが眠っている
木は私たちみんなの家
私たちが木に歌うとき
木の根は土の下でたがいに助け合う
私たちが木に語るとき
あたりに生える草さえも
たがいに根を張り支え合う
だから、お前たちも木と同じように生きるのだ
木は私たちと同じように生きている

(「クリンギットに伝わる創世神話」より)

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こんな世界観の中で生きていたら、もう結局、この世界は本当は愛でできているんだなと、心ふるえてしまう。
いのちの本質は、変わっていくことと、愛なんだと思うのです。言葉にするとちょっと気恥ずかしいけれど。

そんな世界に寄り添うように生きた星野さんの紡ぐ言葉もやっぱり深い愛情に満ちていて。
だからこそ、その言葉は強いパワーを持ってたくさんの人を支え、勇気づけてきたんだと思います。

「小さなたき火が揺れている。パチパチ、パチパチ、僕の気持ちをほぐしてくれる。
熱いコーヒーをすすれば、もう何もいらない。

やっぱりおかしいね、人間の気持ちって。どうしようもなく些細な日常に左右されてゆくけど、あたらしい山靴や、春の気配でこんなにも豊かになれるのだから。

人の心は深く、そして不思議なほど浅い。きっと、その浅さで人は生きてゆける」
(「Araska 風のような物語」)

 

「無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じ取ることができる。
自然とはなんと粋な計らいをするのだろうと思います。
一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度巡り合えるのか。
その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません」
(「旅をする木」)

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何度となく読み返していると、いくつもいくつもも、折々に響く言葉に出会います。
そして、その言葉たちを読んでいると、ふと、彼は旅立ちが早いことを知っていたのかもしれないな、、、と思うことも。
生も死も、自然のなかではすべて循環していくから。きっと、彼には生も死も同じこと、だったのかもしれません。

彼の死後20年がたっているけれど、こんなにもいまも、多くの人の心を揺さぶり、支え続けているのは、彼の魂は生きて旅を続けている、ということなのだと思います。
生も死も、孤独も希望も切なさも、喜びも。
いのちのすべてを愛し抜いた、あの魂は、いまもきっと。

9/8(木)~9/19(月)まで「星野道夫の100枚 展」も企画されています。
没後20年展を見逃してしまった方は、こちらでぜひ、星野道夫さんに出会ってみてくださいね。

2016-09-04 | Posted in blogNo Comments » 

 

手前醤油のすすめ

しょうゆできあがり

今年も2回の醤油仕込みWSを開催♪
昨年とはまた別の6名の方に手前醤油の仕込みをお届けできました(*^-^*)

お醤油には「本醸造方式」「混合方式」「混合醸造方式」という3通りの作り方があるのですが、
大豆と小麦で作った麹と塩と水だけというシンプルな原料で時間をかけて発酵熟成させ完成するのが「本醸造方式」。
お伝えしているのは、この本醸造方式のお醤油作りです。
現在、丸大豆を使用し本醸造方式で作られるお醤油は販売されているお醤油全体のわずか2.4%しかないそうなので、なかなか貴重な体験です。

もろみの香りが発酵とともにどんどん変化していく様子が愛おしくて。

かき混ぜるために床下から保存瓶を取り出すと、息子も「くんくんする~♪」と香りを嗅ぐのが日課です。

右が仕込んで10日目。
左の色の濃いほうは搾りを待つ、仕込んで1年経過したもの。
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もろみも、絞った生醤油もとてもかぐわしい香りがして。

絞った後のもろみは、甘酒と混ぜて少し甘みを加えて、お肉やおさかなを漬けこんでおくととてもやわらかくて
美味しくなるので無駄なくすべていただけるのも魅力です。

和食を支える大事なアイテムなのに、意外と原材料は何かと答えられないお醤油。
お味噌同様に、お醤油も毎年仕込むご家庭が増えていくといいなぁと思います。

また来年の同じ時期に開催しようと思っているので、ご興味ある方はまた来年ぜひ♪

お味噌とかお醤油の仕込み、調理実習なんかでもやるといいのになぁ。
自分たちの食べているものがどんなふうに作られているのかを知るのって、とても大切なこと。
お醤油もお味噌も先祖伝来のソウルフードを支える大事な大事な、たからもの。
学校は、そういう大事な知恵を伝える場所であってほしいな。

職人醤油のサイトでは蔵元さんのご紹介など、お醤油についてのいろいろな学びができるので、ご興味ある方はこちらもぜひ♪

2016-05-09 | Posted in blogNo Comments » 

 

でこぼこへの愛

ふと気がつくと、晴れたら子供を連れて向うのは小石川植物園や、羽根木のプレーパークなどの広々として緑ゆたかで、駆け回れる場所。
でも、緑が多いとか少ないとかよりも、いちばん街の中の公園と違うのは、地面にでこぼこがあること、なんじゃないかと思うのです。

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整地された公園って、けがは少ないかもしれないけれど、なんだかつまらない、といつも思っていました。

 

そのことの本質を書き記してくれているのが、辻信一さんの対談集「ピースローソク」の中の1節。

「最近、その宮崎駿さんがこんな発言をしています。今の子供たちには元気がなくて、それがもう限界まできている。そこで、『保育園や学校の庭なんかでこぼこにしたらいいのに』って。なるほど、とぼくは唸りました。そしてこうも思った。これは庭ばかりではないぞ、ここもかしこも、心の中まで重たいローラーでまっ平らにされてきたんだなって。実際我々は、山を削り、谷を埋め、木を切って平らにして、コンクリートで固めてきたわけでしょ。要するに、僕が言いたいのはいろいろなレベルの平準化というのがあって、文化を文化として、自然を自然として元気にしているはずのでこぼこを、われわれはことごとく潰してきたんじゃないか、均してきてしまったんではないか、ということです。平らな庭では気配は育たないし、均質な時間の中では神話も育たない」。

うん、うん、本当にそう思います。
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木の根っこに躓いてみたり、落とし穴に落ちてみたり。段差を駆け上ったり、坂道でバランスをとってみたり。そういうゆたかな感性を育てていくための身体感覚を磨くチャンスが、整地された地面では奪われてしまっている。
それって、なんだかとてももったいないというか、貧しいというか。

毎日の日常だって、人生だって。
すべては変化していて、いい時もあれば悪い時も。

でこぼこな日々、でこぼこな人生。
でも、そんなでこぼこがあるからこそ、気づきがあったり、出会いがあったりして。落ち込んだり、些細なことに救われたりしながらみな、生きているんだと思うのです。

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同じ「今日」という日をいきていても、みんな違っているから、世界はカラフルで面白い。
保育園や幼稚園、学校の庭も、街中の公園も。
なんなら、町中の道路だって、思い切ってでこぼこにしてみたら、なんだか世界はもっと豊かさを取り戻すような気がします。

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画一的で、まっ平らな人生なんてごめんだよって、世界に飛び出していける男の子になるように。
今日も、明日も。
息子と私の遊び場はいつもでこぼこだらけの森の中♪
愛すべきでこぼこに、感謝☆

 

2015-12-03 | Posted in blogNo Comments » 

 

真夏の夜の動物園にて

16日まで行われていた真夏の夜の動物園に行ってきました。

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この日は薄曇りで、秋を感じる風。

念願の金子半之助の天丼弁当にビールという幸せな腹ごしらえをして、いざ♪

暑さから解放されてなんだかほっとしているように見える夜の動物たち。昼間よりも活発で精悍な感じ。特に日中、まず寝姿しか見かけないライオンとか。

やっぱり、それぞれのいのちがありのままにいられる環境って大事だなぁ、と。

夜の動物園でしみじみ。

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白熊はハワイでは生きられないし、熱帯魚が生き生きするのは暖かな南の海。みんながそれぞれ、自分に適した場所でのびのびと生きてゆけばいいんだよね。それはきっと、ヒトだっておなじこと。

なのに、なぜか「おなじであれ」という同質的な圧力を感じるからきっと学校とか会社とか居心地があまり良くないんだろうな。

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そんな、真夏の夜の動物園で思い出したのがスイスのチューリヒ動物園 のこと。
チューリヒ動物園がこだわるのは、「動物が満足して暮らせるよう、本来の生息環境を再現すること」。

例えば、2003年に完成した「マソアラ熱帯雨林(Masoala-Regenwald)」は、マダガスカルの「マソアラ国立公園(Masoala National Park)」との共同プロジェクトで実現した植物園。この植物園担当の飼育員さんの仕事は、伸びすぎた木々の伐採など環境保全が主。
最終的には、落ちた木の枝や葉や木の実が土壌を育て、植物園内の動物たちを養う果物などが自生し循環する森にするのが目標という徹底ぶりです。

この動物園では、できるだけ人の手が入らないように動物たちが野生に近い形で暮らせるような工夫が随所にされていて、飼育員の介添えなく出産したり、鳥たちも放し飼いなので、間近に生態を見ることができるのだそう。

最近の研究では、野生の生活のように餌を苦労してとることで初めて達成感や満足を得られ、健康でいられるということがわかっているそうで、チューリヒ動物園では飼育員さんが頭をひねって、動物たちが野生に近い状態で餌をとるまでに苦労して、飽きない工夫をしているのだそうです。

もちろん、野生には比べ物にならないのだろうけれど。

動物たちも飼育員さんたちも、みんないい顔してたなぁ。

日本の動物園も、行動展示とかだいぶ動物たちが生き生きと暮らせるような工夫がなされるようになってきているけれど、チューリヒ動物園と比べるとまだまだ。

その根底にあるのは、国や自治体がなにを大切にするかという価値観だったり、取り組む姿勢だったり。

同じ生き物として、おなじいのちとして動物のことを考えているかどうか、ということなのだと思います。そういう考えとか感性って、子供たちに対する目線にも通ずる気がして。

なんとなく、動物が幸せな国は、子供たちも幸せな国なんじゃやないかぁ、なんて勝手に思ったりしています。

 

バングラデシュ・ラオス・ミャンマー・タイ・内モンゴル・インド・タンザニアなんて、行ったことのない人が多そうな国への渡航経験はあるのに、アメリカやヨーロッパは未踏の地(笑)。

そろそろ、ヨーロッパにも行ってみたいなぁ。

来年の夏休みはスイスに飛んでチューリヒ動物園から、ブログをお届けできますように(^^)

 

2015-08-17 | Posted in blogNo Comments » 

 

2015 大家族ごっこ

「人に出会う。

 魅かれあう。仲間が広がる。けんかしてぶつかる。自分を知る。寄り添い、愛し合う。

 毎日の暮らしの中で、かえがたく貴重なのは人とともに過ごす時間。

 人の中で、思いやりの気持ちを感じたり、人を心から大切にしたいと思うこと。

 あたたかさでうれしさがこみあげてきて、そうやってこの世界を楽しんで。楽しんで。

 湧き上がる情熱をともに分かち合い、喜んで、信じて。

 見えない線でつながっていくように、たくさんの知らなかった世界が開けていくように。

 一瞬一瞬を濃く、大切にしていくことで今を生きる意味が見えてくる」
                 
     (リンカランVol26 ~ひととつながるいとおしい日々~ から抜粋)

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こども環境会議主催の「大家族ごっこ」というワークショップ(http://www.kodomokankyokaigi.jp/2015-summer05.pdf)に1歳8か月の息子と、中高時代の友人と一緒に2泊3日で参加してきました。
東京に戻ってきて、ふと思い出したのが冒頭の言葉。
うん、やっぱり人は人の間で磨かれて。「人間」になるんだなぁ。

たくさんの人が家族のように、一緒にご飯を作って、食べて、お風呂に入って、寝て起きて。たくさん話して、WS形式で対話をして。少しずつ、家族のように近づきあっていく。おとなも子どもも。

わたしは、マイペースに遊ぶ息子の背中を追いかけてばかりで、あまりワークには参加できなかったけれど。なんというか、島とか田舎の集落で暮らしているような懐かしい、たくさんのあたたかな手と目に囲まれた暮らしにどっぷりつからせていただいた3日間でした。

 

印象的だったのは、参加している皆さんのなんというか真摯なやさしさ。おとなもこどもたちも。

みんななんというか、あったかでまっすぐで。いいなぁ、、という感じ。

1番素敵だったのは最終日のおひるごはん。いくつかのチームに子どもたちが分かれ、それぞれのチームには数人のおとな。おとなはサポートに回り、食材選びもメニュー決めも子どもたちが。

短い時間の中で、どんどん斬新なメニューが出来上がって、どれもとてもおいしかった。既成概念にとらわれない自由な組み合わせには脱帽!こどもたちの力もすごいし、それを最大限引き出すようなやり方を考えたスタッフさんたちもすごい。

こどもたちとおとなたち。

いまの社会、特に都会では日常の中でなかなか交わることなく大人は「会社」子どもは「学校」とすみ分けられてしまっているけれど。本当はこんな風にぎゅぎゅっと寄り集まって、一緒に育ちあっていけたら。お互いの学びも深くなるし、なによりも信頼関係が深まっていくような気がします。

こういう在り方、きっと数十年・数百年前の日本ではあたりまえのことだったと思うのに、私たちはどうしてそういう学びあいの環境を置き去りにしてきてしまったのかな。

ここから、また、そういう在り方がはじまっていくといいなぁ。

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参加者はいろいろな背景を持っていて、生きづらさを抱えていたり、悩みを抱えていたり、いろいろ。でも、そういうもの全部が、ぐつぐつ煮込まれて美味しくなるシチューみたいに、味わいになって一つの「家族」が出来上がっていく。

なんていうのかな、「いのち」に対する徹底的な信頼感、みたいなものを感じる3日間でした。

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つないだ手のぬくもり。

自分の子も、ほかの参加者の方の子も。みんな同じ「わたしたち」のかわいい子。

たくさんの手と目がある毎日は、あわただしくもなんだか安心で。こころがほかほか、あったかでした。
なによりも、そんな毎日の中でどんどん成長していくこどものエネルギーを目の当たりに。

あらためて、おとなもこどもも、毎日毎日、変化して成長するいのちなんだな、と感じました。

うん、やっぱりいのちってすごい。

 

こんな風に、みんなで見守りながら子育てすることができたら、おかあさんたちはもっと笑顔で毎日を過ごせるかもしれないな。

産後ドゥーラとして、これからお母さんたちのサポートを少しずつでもしていきたいな、と思っているいま、いろいろなヒントをいただいた3日間でもありました。

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そして、「仕事」というキーワードから「自分ははなぜ生まれてきたのか」というところまで深まっていった最後のWS.

わたしの心に浮かんだのは

「わたしは、愛すること・愛されること、そして人の手のあたたかさを学び、伝えるためにうまれました」という言葉でした。

いま自分の真ん中にある想いにふれたような気がして。そして、それぞれの皆さんのこころの芯に触れたような気がして。なんだか胸が熱くなりました。

うん、「ありがとう。あいしてる。だいじょぶ」っていうことを伝えたくて、たぶん私は文章を書いたりドゥーラの勉強をしたりしているのだと思います。

季世恵さんのワークはやっぱりすごいな。

 

ほんとうにかけがえのない、貴重な夏休み過ごさせていただきました。

お寺に迎え入れてくださった和尚さま、代表の季世恵さん、たくさんのサポートをしてくださったスタッフの皆様、ご一緒させていただいみなさまに、空いっぱいの感謝をこめて☆

素敵なご縁をありがとうございます。

また来年ご一緒できますように。

 

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2015-07-28 | Posted in blogNo Comments » 

 

ふれることのちから

母が学んでいるタッピングタッチ を、先日やってもらった時のこと。

背中に添えられる掌の温かさにおどろいて。ああ、手当てって本当にすごいなぁ、とあらためて感じた。

手のひらってこんなに力強く誰かを支え、励まし、癒すことができるんだなぁ、と。

傍らにいてくれることの安心。

「援助者」って時に、「被援助者」の力を奪ってしまうことがあると私は思うのだけれど、「伴走者」はもっと柔らかく傍らにいて存在を贈りあいながら認めあえるもの、だと思う。タッピングタッチは力まずに、傍らでたたずみながら温かさを贈ってくれる伴走者、そんな感じ。

きっとみんな、ふれあいたい、認め合いたいもの、なんだと思う。小さい人も、おとなたちも。
こころに、身体にそっと、優しく触れ「そのままのあなたでいいよ」って、伝え合うこと。

そういう、関係性が回復していくといま社会の中で問題になっているようなこともいろいろと解けていくんじゃないかなぁ。今の時代、こころも、からだもなんだかないがしろにされている気がして仕方ないのです。

皮膚感覚で温かさを伝えることはきっと、時に、言葉以上にそのひとのこころをひらいて、優しく柔らかくすると思う。

私も、もう少し時間ができたらタッピングタッチ学んでみたいな。

 

そんな、ふれること、傍らに寄り添うことの温かさを綴った詩が「わたしにふれてください」。

いろいろなところで、これまでも紹介してきたけれど、大好きな詩なのでここでもまた♪
少し長いのですが、ぜひ、読んで感じてみてくださいネ。
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わたしにふれてください

もしわたしがあなたの赤ちゃんなら
どうぞ、わたしにふれてください。
今までわたしが、知らなかったやさしさを
あなたからもらいたい。
あふろにいれてください、
おむつを替えてください
おっぱいをください
きゅっとだきしめてください、
ほおにキスしてください
わたしの体をあたためてください
あなたのやさしさとあなたのくれる快楽が
わたしに安心と愛をつたえてくれるのです

もしわたしがあなたのこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
いやがるかもしれないし、拒否するかもしれないけど、
何度もそうしてください
わたしがどうしていやがるかわかってほしいから
おやすみなさい、と抱きしめるあなたの腕が
わたしの夜を甘くしてくれる
昼間にみせてくれるあなたのやさしさが
あなたの感じる真実を伝えてくれる

もしわたしがあなたの思春期のこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
もう大きくなったのだからなんていわないでください
あなたがわたしにふれるのをためらうなんて
思いたくない
あなたのやさしい腕が必要です
あなたのおだやかな声をききたいのです
人生は困難なもの、とわかったいま、
わたしの中の小さな子どもがあなたを必要とするのです

もしわたしがあなたの友達なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたがだきしめてくれると、
わたしはあなたにとって大切な人だとわかるから
あなたのやさしさが、おちこんでいる私も、
かけがえのない存在であることを
思い出させてくれるから
そしてひとりではない、と思い出させてくれるから
わたしにやすらぎをくれるあなたのありよう、
それだけがわたしが信じられるもの

もしわたしがあなたのセックスの相手なら
そうぞ、わたしにふれてください
あなたは、情熱さえあれば、十分と思うかもしれない
でも、あなたの腕だけが、わたしの恐れをとかしてくれる
あなたのやさしくおだやかな指先をください
あなたにふれられて、わたしは愛されているということを
思い出すことができる
わたしはわたしなのだ、ということを
思い出すことができる

もしわたしがあなたの大きくなった息子なら
どうぞ、わたしにふれてください
わたしには、
抱きしめるべきわたしの家族はいるのだけれど
それでも、傷ついたときには
おかあさんとおとうさんにだきしめてほしい
おとうさん、あなたといるとすべてが違ってみえる
わたしが、大切なわたし、であると
思い出すことができる

もしわたしがあなたの年老いた父親なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたが小さかったときに
わたしがあなたにふれたと同じように
わたしの手をにぎり、わたしのそばにすわって
わたしを力づけてください
わたしの疲れた体によりそい、あたためてください
わたしは随分しわくちゃになってしまったけれど
あなたのやさしさに力づけられる

どうぞ,何も恐れないで
ただ、わたしにふれてください

(—フィリス・K・デヴィス、原作者Phyllis K.Davis、翻訳者三砂 ちづる)

2015-06-16 | Posted in blogNo Comments » 

 

【追悼】詩人 長田 弘さんに感謝をこめて

大好きな詩人、長田弘さんが亡くなった。生活や日常に限りない愛情と温かなまなざしを持ち続けられた方だと思う。

初めて長田さんの詩に出会ったのは「ふろふきの食べかた」というタイトルの詩。

「自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。

それから、確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて、
面とりして、そして一日の
見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。

そうして、深い鍋に放りこむ。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらい差して、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。

こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって」

(「食卓一期一会」より)。

 

なんだか、あたたかゆげに包まれたような。ほっこりやさしい気持ちになったことをずいぶん経ったいまでも覚えている。

なんというか、生きていくうえで大切な小さな日常のリアリティを、平易な言葉でやさしくあたたかく届けてくれる方だった。そして、誰よりもことばのちからを知り、ことばの持つ力を信じさせてくれる人だった。

 

そして晩年に出版された「詩、ふたつ」は、「花をもって会いにゆく」と「人生は森の中の一日」という2編をクリムトの樹木と花々とともにおさめた詩画集。

人生のなかでときに訪れる悲しみに、静かにそっと寄り添う、とてもやさしくあたたかい詩画集で、私の父が逝ったとき、母に贈った詩画集でもある。

愛する人たちを見送った人々に寄り添う素敵な言葉はいま、詩人の詩を悼む私たち自身の想いに重なる。

 

 

いつの日か、大きな木の下に花をもって会いに行こう。

感性をゆたかにひらき、いつも傍らにあるような言葉を贈り続けてくれた詩人の魂に。

そして、伝えたい。あなたのように、優しくしなやかであたたかで。でも凛として力強い言葉を紡いでいきたい、と。

長田弘さん、たくさんの美しい言葉の花束をありがとうございました。

 

 

「花を持って、会いにゆく」(「詩ふたつ」より)

春の日、あなたに会いにゆく。あなたは、なくなった人である。どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。

略…

死ではなく、その人がじぶんのなかにのこしていった たしかな記憶を、わたしは信じる。

言葉って、何だと思う?けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、語らうことができると知ったのも、死んでからだった。

春の木々の 枝が競い合って、霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。きれいな水と、きれいな花を、手に持って。

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「人生は森の中の一日」(「詩ふたつ」より)

何もないところに、木を一本、わたしは植えた。それが世界のはじまりだった。

次の日、きみがやってきて、そばに、もう一本の木を植えた。木が二本。木は林になった。

三日目、わたしたちは、さらに、もう一本の木を植えた。木が三本。林は森になった。

森の木がおおきくなると、おおきくなったのは、沈黙だった。

沈黙は、森を充たす 空気のことばだ。

略…

やがて、とある日。黙って森をでてゆくもののように、わたしたちは逝くだろう。

わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が 天を突くほど、大きくなったら、

大きくなった木の下で会おう。わたしは新鮮な苺を持ってゆく。きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって 人生は森の中の一日のようだったと言えたら、わたしはうれしい。

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2015-05-18 | Posted in blogNo Comments »